本日「夢みる小学校」を観てきました。
備忘録的な感想です。ネタバレ含みます。
【見る前】
実は見るのを避けていました。教育関係のネットワークで各地で開催する、という情報は入ってきていたのですが。
なぜ避けていたのか、というのを言語化するのは難しいのですが、
・知ることへの恐怖
・観た後に与えられる宿題をやりきれない気がしていた
新しいことを知るのは喜びと言いますが、恐怖も伴うと思っています。
例えば今、特に不満なく、学校生活を送っている子が見たら、気づいていなかった不足や違和感を感じると思うんですよね。
そんなことを思って、ちょっと気持ちが遠のいていました。歳をとったのかな。
ただ、知ることは大切。わかっています。
もう一つは受け手ではなく、提供者として映画を見ると、宿題を多く与えられてしまうんですよね。
イエナプランを知った10年前も同じ気持ちで、10年かけて少しずつアンラーンして、今の「私」の形になりましたが、
ずーっとわからないという森を彷徨っていたように思っています。
そういう宿題をもう出さないでーという気持ちなので避けていた、という訳です。
【見てて思ったことランキング】
1番 自由に責任は伴わないようにしているという堀さんの言葉は、至言だと思いました。
自由には責任がともなう、という言葉、よく聞きますが、この言葉を聞くと「うっ」と心が苦しい。
コントロールの匂いがするんですよね。
自由にともなうものは責任ではないです。友愛に基づく共同体の感覚だと私は思っています。
友達、仲間のことを考えた上での自由が人類の長い歴史にフィットする気がしています。
2番 ちょっとうるさいかな。
楽しそうなんですが、私は実はあまりガチャガチャしたところが得意ではないので、子どもだったら少し辛いかもしれないと
思いました。ただ、みんなで何かを作るというのはとても好き。でも横道にあまりそれるのは好きではないなと感じました。
だから個人事業なのか笑
3番 スキンシップの多さ
先生(大人)が子どもを膝に乗せるなどスキンシップが多いなと思いました。
10年くらい前までは生徒の肩や腕に触れるくらいのことはありました(握手は結構恥ずかしいけどたまに)が、
今は男女問わずに触れないようにしています。これは社会の変化によって私たち教育関係者の意識に影響してのものです。
セクハラなどへの意識、ということもありますが、どちらかというと子どもというものが地域(社会)のもので皆が育てる、という意識が
薄まり、私的なもの、保護者に属するものという意識の高まりなのかもしれません。
4番 発達障害についての考え方
同じ時間同じ空間同じ内容で学習して、そこに合わなければ発達障害、そして仮に私たち軍隊に入って規律の厳しい生活に合わなかったら「発達障害」と障害認定されるようなもの、という指摘、なるほどなと思います。
社会に余裕がなくなればなるほど子供達を当てはめる型は小さくなりますが、小さくなった型に入らなくなった言い訳の一つが発達障害という言葉なのかもしれません。この言葉で助かった、という人もいると思いますが、環境が変わって「自分のままでいい」と思えた子のエピソードは胸にくるモノがありました。
【見た後思っていること】
公立でもできる、という言葉がありましたが、これを突きつけるのは酷だなあと思いました。
というのも公立は人事異動があります。校長先生も数年で変わる。新しい取り組みも校長が変わって元通りになる。
一つのクラスだけ取り組むと、よそのクラス、次の学年のクラスから変な目で見られる。
ただこの異動の仕組みにも理があって、それはどこの学校がいい悪い、を生み出さないようにしているという点です。
そしてこの理屈はとても強固です。ここを理解せずに戦えないなと思っています。
で、私たちができることは何か?ということですが
一つはこの映画をみること。
こういう学校いいな、と思うと思うのですが、こども中心という視点で
何をするかだけでなく、「何をしていないか」も気を付けてみてほしいです。
もう一つは政治参加です。投票だけでなくタウンミーティングなどで意見を表明すること。
私は学校だけでなく社会全体が自由主義的な哲学から社会民主的な方向に向かう時期なのではないかなと思っています。
アメリカ型の競争的な価値観ではなく、ヨーロッパ型の社会主義的な価値観です。
私自身、どっちの主義というわけではないですが、ここ数十年それまでの護送船団方式など、社会主義の成功した国と揶揄されたような日本からの反動として競争主義、新自由主義的価値観が広まり、行動、思考に影響を与えてきました。
それがちょっと行きすぎている気がしています。
こうした意見を表明できるのが政治です
政治参加、社会が変わることにつながるように、タブー視せずに政治を身近なものにしていくことかなと思っています。
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