今年もあと数週間ですね。
前回、夏ごろに音声配信にハマっていましたが、しばらく時間が空いてしまいました。
その間、報告が遅れてしまいましたが10月に娘が誕生し、気持ち、時間をそっちにもっていかれてしまっていました。
今は2ヶ月ちょっと経ちましたが、夜も寝てくれるようになり、少し余裕が出てきた最近です。
□教育の不安
娘が産まれて、将来のことを考えた時に、私も人の子。不安になります。
それは単純にちゃんと元気に、自分らしく暮らしていけるのかな、ということなんですがそのことを妨げる障害があるなあと。
もちろんそういう障害を乗り越えて大きくなっていくんですが、煮詰めると一番の不安なことは、困った時に「だれかと助け合って生きていけるのか」ということです。
いまだに競争、他人より上をいくことをベースに教育を考えている人が多すぎて、あたり前の「助け合い」がだんだん特別なことになっているのでは、と心配しています。
落書きをしましたが、今の日本社会って経済成長が鈍化して、ここ10年はなんとか量的緩和や年金資金を使って株価をあげるなど、ごまかしてきたのが誤魔化しきれなくなってきた状態、と捉えています。
豊かさ、富の量としては90年ごろ(もしくはバブル前)くらいまで落ちていて、違いは右肩下がりなこと、そして富を金持ちが所有する割合が増え、普通や貧しい人が増えたことかなと現代を捉えています。(だいぶいいかげんなものなので、すいません)
こういう時代を生きていく、生まれたての子の環境や教育として、どういうものがいいのかということをヒリヒリとイメージしています。
そして現代がそのイメージとかけ離れていて(いまだに右肩上がりの思考)、とても不安になるんです。
□
私の好きな「イエナプラン」と呼ばれる教育理念、そのスタートはイエナ大学の教授、ペーターペーターゼンという人の実践から始まりました。
すべての人間はいかなる身分、いかなる知識程度にあろうとも、まったく等しく、個人的生命の調和、純粋な志操と気高い行為における生命にまで到達しうるのである、ということは原則的な意義を持っていると理解されるのである(されるべきなのである)。
その彼がこういう言葉を残しています。カッコは私が加えました。
ちょっと難しいですが、めちゃくちゃ砕くと、どの人も、その人の特性に合った教育で、自分自身を成長させて、ちゃんとした大人になることができる、ということは当たり前だと思っていないといけないというようなことでしょうか。
点数がいいとか悪いで、褒めたり叱ったりするレベルの話ではないと伝わればいいなと思います。
みなが自分らしく成長して、そうだからこそ違いを尊重して助け合う土壌ができるんですよね。
同じ物差しの上に並ばされて、いいとか悪いとか、そうやって他人と自分の間に壁を作ってほしくないなあと思っています。
損だとか、得だとか、「なんで自分がやらないといけないのか?」とか「自分さえ良ければ」「自分には関係ない」みたいな感覚では、これから右肩下がりになる時に、貧しく、孤独になるだけです。
反対に、ここ数十年、人々の価値が多様化し、1人でもいいや、という感覚でいられたのは豊かさのおかげです。
1人でもいい、自分さえ良ければいいという価値観はこれからの時代をますます暗くすると思います。
豊かではなくなるこれからの時代に向けて、誰かを助け、助けられが自然にできる人を育てる環境になってほしいなと思います。
□塾の話
塾の話もしますね。
楽しい感じで和気あいあいとやっていますが、少し前、説教みたいなこともしました。
授業の終わりに、今日何をしたのか紙に書くのですが、それがいい加減なんですよね。
「漢字」とか「方程式の利用」とか。
なので何をしたのか私が詳しく聞くんですが、「やった」だけで「わかってない」ことが多くて。
勉強を作業のようにするな!「なるほど」とか「わかった!」を大切に!という説教です。
ここ20年近く中学校ではワークなど提出物が多くて、それを何回もやらせるなど、作業のようになりがちです。
なので、ちょっと変えてやっていることを客観的に見たり、まとめるためにマインドマップ作りをしました。
客観的に自分がどういう状況かつかんで何がわかって何がわかっていないかなど気づきを得てほしいなと思います。
□春の次の季節
生徒が勉強について、できないこと、わからないことがあっても驚くことはほとんどないくらいの経験は積んでいるつもりですが、それでも時々「マジかよ」と驚くことがあります。
生徒に質問されヒントとして
「春の次の季節ってなんだっけ?」と聞くと「夏か冬」と答えられてしまいました。。。
スマホばっかり見てたらだめだよ!
それではみなさま良いお年を。
コメントをお書きください