夏以来、少し久しぶりの投稿です。
季節の変わり目、みなさま体調など崩されていませんか?
私は元気ですが、特に最近亜鉛サプリをとるようにしたら、口内炎ができなくなって嬉しい日々です。
亜鉛が足りないと味覚障害になるらしいですね。気をつけないと。
フリースクールは、少し子どもも増えて以前より賑やかに。
保護者の方とお話しする時間が多いです。教育のこと、社会のことなど。
支援というつもりはないのですが、塾とはまた違う保護者との関わりに面白さを感じています。
【保育園見学】
娘の保育園見学に行きました。
雰囲気や取り組みがすばらしいなと感じた保育園。
数十年前に、保護者たちの手で作られたそうです。
その辺りの経緯を、保護者というより一人の教育関係者としてもっと知りたいなと思いました。
というのも、学校の成り立ちと逆なんです。
学校は明治になり、地域にあった教育とは別に、国が作ったものです。
地域とは真逆の、「国民」を作るため、同じ文字を読み、話し、ボトムの能力を揃えるための仕組みです。
地域に住んでいる民からは、「上から降ってきた」、そんな成り立ちです。
そんな学校が昨今、コミュニティスクール、地域協働学校として地域と共に歩もうとしています。
地域の保護者たちによって生まれた保育園と、何が違うのか、足りないのか、そういうものを知りたいと思っています。
【現状での仮説】
おそらく、ですが保護者や地域から生まれる組織は「必要性」という現実が組織の根本思想になり
国によって作られる組織は「こうあるべき」という理想が根本思想になる気がしています。
そしてその理想を根本思想にしていることで、子どもに規格を求めて
不登校やいじめなどに表れている学校の抱える問題につながっているんだろうなと仮説を立てています。
地域協働学校の取り組みの中で、地域や保護者の「必要」がどれだけ「理想」の価値観に影響を及ぼせるか、関心をもって見ています。
【塾の話】
塾の話も少し。
あと半年でしつもん塾も10年になります。
前にやっていたスタディルームという塾は9年で閉めたので、それを越えます。
年齢のせいか、前の時より時間が経つのが早いような、、、、笑
スタディルームの時は、7年目くらいから得体のない不安がありました。
坂口安吾の「風と光と二十の私と」の中で
「こういう職業(教員)は、もし、たとえば少年たちへのお説教というものを、自分自身の生き方として考えるなら、
とても空虚でつづけられるものではない。そのころは、しかし私は自信をもっていたものだ。
今はとてもこんな風に子どもにお説教などはできない。
あの頃の私はまったく自然というものの感触に溺れ、太陽の讃歌のようなものが常に魂から唄われ流れ出ていた。
私は臆面もなく老成し切って、そういう老成の実際の空虚というものを、さとらずにいた。さとらずにいられたのである。」
という部分があり、「同じだなあ」と思ったのを覚えています。
30になった時に、これからずっとこういう子どもたちへのお説教のようなことをやっていくのかと、
自分の中の太陽の讃歌が薄れていくような感覚になりました。
こういう本当のことを書くことができる、というのはもちろん当時の自分と、今の自分には差があり、
いまでは客観的に捉えられています。つまり解決し、過去の自分にアドバイスができるようになっています。
地の底に沈み、何年もかかって「手に入れた」のではなく「捨て続けた」おかげで。
捨て続ける、とは都会にいた人が、山にこもり、感覚が鋭くなって都会の人が気づかない匂いや音に気づける、そういう感じです。
かっこよく言えば。
自然の感触を取り戻し、世の教育に含まれている添加物の味を感じそれと距離をとれている。
なのでしつもん塾がもうすぐ10年ですが、自然に還る10年だったと、そして特に不安もなく、意義を感じています。
この塾も地域の「必要性」の中で自然に続いていけばいいなあと思っています。
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