年が明けてしばらく経ちました。
「生徒たちから年賀状、意外と来ないね」と妻の一言。
慕われていないということがバレつつある気がしますが、昔はそれでもそこそこ来ていたんですが、最近は減りました。
習慣として年賀状も出さなくなってきているのかなと、今の社会を知るバロメーターなのかもしれません。
私が低学年の時に行っていた小学校では、郵便局の年賀状ではなく学校が年賀状を用意して、それを通学班の班長にくばってもらっていました。
一枚一枚、手書きで絵と言葉を書いて友達に送っていました。
いい年賀状はあとで賞がもらえたりして、わたしも「ユニーク賞」という賞をもらった記憶があるのですが、
あの頃の時間の流れと今でどうしてこんなに違うのかと不思議に思います。
今は、宛名も絵や写真も印刷で、一言書くだけ。それでも出さない人もいる。めんどうくさいし時間がない。
あの頃は、宛名も全部手がきで、絵も描いていて。
どうして今、時間がないのか不思議です。
何が時間を奪っているのか、
そしてこうやって手書きで宛名を書いて、絵を描いての時間が私に与えてきた教育は今は無くなってしまったのかと
取り戻せない時代の空気のようなものに思いを巡らせています。
外部化、という言葉があります。
近い言葉に外注。
自分でやっていたあらゆることを、お金を払って誰か(機械含め)に頼む。
結婚式も葬式も昔は家でやっていた。
おせち料理は家庭で味を引き継いで手作りしていた。
ちょっとした修理(自転車のパンクとか)なら自分たちでやっていた。
それらを自分でやらないようになっている現代。
空いた時間でインターネットやゲームで暇つぶし。
で、子どもに何を教えるかといえば勉強。科目学習。入試科目。
よく、考えると奇妙な時代です。
でも、おかしいと思っている人も少ない。
豊かになるために、豊かさを失っている。
遠い時代の人から「ばかじゃないの」と言われてしまうかもしれません。
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